目の前の現象をどう捉えるのか? 〜怒られた、褒められた現象から考える〜
おはようございます!
野田憲冬です!
怒られたり、褒められたり、
働いていると上司や先輩に色々言われることもあると思います。
ただ、最近思うことは
怒られたにせよ、褒められたにせよ、
「ただ怒られた」「ただ褒められた」
で終わらせることって人生を豊かにする上で
面白くないなって個人的には感じているんです。
怒られたにせよ、
「なぜ怒ったのか?」
その人の背景を観ると自分の心も落ち着くと思うんです。
私も昨日、社会人の基本ができてなくて怒られたのですが、
その背景を聞くと、
「これから営業行くのにこのままではまずいとも思って言ったんだよ。お客様はちゃんと指摘してくれないからね。」
と私に気を使ってのことで言ってくださっていたのです。
だからこそ怒ってる訳ではなかったんですよね〜(笑)
そんな勘違いもあるので、
ただ怒られたと認識するのでは
勿体ないと思ってしまうのです。
怒られた、褒められた、そう思うのも、
自分が作り出してる世界
であること。
私はそう感じ、心も少しずつ落ち着きました!
いかに自分の世界に捕らわれているのか?
それを身近に感じれた1日でした!